ノーマライゼーション・教育ネットワーク 会員通信 2024年春号 〜2024年4月3日発行〜 【事務局】宮城道雄 〔ホームページ〕 URL:http://www.japan-normalizatio.com/ 連絡先〈 郵便 〉〒344-0041 埼玉県春日部市増富763−1 飯島気付 〈 電話 〉090—5994—5131(宮城) 〈メール〉rsj78162@nifty.com(宮城) 教育ネットの会員の皆様、読者の皆様 新年度2024年度が始まりました。昨年度の課題は中井先生の職場復帰を中心に取り組みました。復職に向け東京都教育委員会や練馬区教育委員会との4回の話し合いを行い、中井先生は副校長として復職を実現しました。大変喜ばしいことです。一方退職後の新井代表が病気で逝去しました。私たちは追悼文集を緊急発行しました。それを関係者に配布しました。 教育ネットの活動は新井代表の退職に際し、活動を継続するか否かで話し合いをしました。その時今後の活動は、とりあえず3年間を目途に活動を継続することにしました。中井先生が復職実現し、副校長として前向きに勤務を続けることになります。 教育ネットの会計については、この2年間会費を集めないことに決め、残った会費を使い切ることにしました。追悼文集の発行でほぼ会費は使い切りました。中井先生の復職の課題が実現し、当面の課題は解決しました。今後は復職後の勤務経過の見守りがあります。また、教育ネットの資料整理やこの間の総括を行うことが課題になります。 ところで、先月2月10日にテレビ朝日で放映された新井淑則先生に関する1時間番組の内容で問題カ所がありました。その点に関して新井代表についての疑問や誤解を解消するための文章をホームページに掲載することにしました。お読みください。 復職いたしました N問題のその後 中井 一雄 令和6年4月1日付けで、復職することができました。足掛け2年の時間をかけ、やっと現場に戻ることができたのは、喜ばしいことだと思います。ノーマライゼーション教育ネットワーク事務局の皆様には、本当にお世話になりました。一人の声では、動かないことが支援者の力で動いたことが、復職に繋 がりました。 3回の話し合いの後の状況をご報告させていただきます。 尚、復職に当たり、固有名詞など一般の方が検索した際に関係者にご迷惑をかけてしまったり、 職務を行う上で想定以上の混乱や不安を招いたりする可能性を鑑みて、特定される表現を避けて報告いたしますことをご理解くださいますようよろしくお願いします。 1 復職訓練 part1 自宅から最も近い小規模校 区教委の計らいで、2校での復職訓練が計画されました。令和6年1月17日(水)から2月16日(金)の期間、段階的に行い」ました。週3日数時間の滞在から始まり、本校では、最終的に毎日訓練の8時から14時となりました。訓練内容は、事務補佐や電話の応対、あいさつ程度ですが児童ともかかわりました。ちょうど4学年では総合的な学習の時間に、「障害のある人と共生する社会」をテーマに学習のまとめをしている時期で、手話などの聴覚障害を取り上げてきたと言うので、視覚障害の当事者として私が特別授業を1時間任されて授業をしました。 訓練の初めころ、全校朝会で校長先生に紹介していただいた際、サングラスを着用して、次のような自己紹介をしました。 「副校長先生のお仕事をしていたのですが、大人になってから病気になってしまいまして、お休みをしていました。でも、お仕事に戻るためにこの学校で訓練をさせてもらうことになりました。一緒に学校で生活をする上で、皆さんに私の見え方を知っておいてほしいと思います。両手をグーにして目の前に置いて見てください。私は両目の中心が見えません。いま皆さんが見ているように見たいところが見えません。でも、周りは少し見えますよね。両方の目で見ると大体見えますが、一番見たい真ん中が見えていないので、皆さんと会ったときに気付いていないことがあるかもしれません。でも、皆さんから声をかけてもらえれば、もちろん気付きますのでどんどん声をかけてください。よろしくお願いします!」 2 復職訓練 part2 バスに乗って40分ほどのところにある中規模校 令和6年2月19日(月)から3月29日(金)まで、自宅から途中バスを利用して通う中規模校での訓練を行いました。この頃は、もう毎日の訓練で午後3時まで、フルタイムでの訓練となっていました。自主的に朝7時ごろ学校に入り、副校長の動きを実際に体験したり、学校の様子をホームページにアップロードしたり、気持ちも自発的に少しずつ動いていきました。とは言うものの、年度末の実際の副校長の業務は過酷で、書類の作成・提出が凄まじく、画面を見ながら仕事を教えてもらっても、正直頭に入らないことと、パソコン画面が見えていないので、身に付いたかというと完全ではありませんでした。それにしても、口頭で教えてくれる業務の手順を、太いペンで手帳にメモ書きし、見返せるように努力しました。紙ベースの文章やメモ書きは、スマートフォンの機能を活用し、手振れしながら時間をかけて読むようにしました。 そんなに困っているように見えないのでしょう。特に職員に迷惑をかけるような仕事を与えられている訳でもないので。教職員には特に気を使わせてしまうことはありませんでした。実はそれが、私にとっては心配事でした。助けなくても、やれる人とと思われていたと思います。そんな中ですが、教務主幹は、私にくれる月予定表をみんなにはA4サイズで配布していましたが、私にはA3サイズで渡してくれたり、事務職員も文字のポイント数を上げてゴシック文字で書類を見せてくれることがあり、本当に有難かったしうれしかったです。 3 内示 そのままスライドできるように区教委の配慮 3月8日、指導課長より内示の連絡がありました。現在訓練をしている学校で頑張ってください。お願いします。」とのことでした。引継ぎ期間も長く、いろいろなことが分かってきた学校で着任できるということは区教委の配慮に感謝でありました。 4 物的支援 パソコン周辺機器の支援 予算の関係で、当初の予定より準備に時間がかかりましたが、教育委員会のいくつかの部署が音声読み上げソフトと拡大読書器を準備してくれました。復職訓練中に機器の操作を訓練できるとよかったのですが、4月には間に合うようにと区教委は準備を進めてくださいました。 就労移行支援で通所していた四谷の日本視覚障害者職能開発センターの職員も区教委に出向してくださり、パソコンの読み上げソフトのインストールや調整を支援してくださいました。 5 人的支援 学校経営支援員の配置 東京都の多くの小学校に副校長補佐という職員が配置され、またスクールサポートスタッフという職の人材が教員の支援や副校長の支援を行っています。私が着任する学校には加えて学校経営支援員を配置してくれました。副校長の仕事を長年してきており、様々な学校の副校長の支援をしてきている心強い方を区教委は配置してくれました。副校長の席の隣に席を置き、仕事を教わり、支援していただきながら職務ができるので、有難い配慮に感謝です。 6 校長の温かい支援 校務を遂行する上で、パソコンの閲覧レベルがいくつかの階層に分かれています。校長だけが保存・閲覧できるフォルダ。校長と副校長だけが保存・閲覧できるフォルダ。そして教職員が使えるフォルダです。この権限を、校長の配慮で学校経営支援員と主幹教諭、管理職候補教員に広げ、副校長の仕事をこれらの職員が閲覧し支援できるようにしてくれました。前任の副校長が一人で行ってきたことを複数で行えるように教育委員会と連携して設定してくれました。これも大変心強い支援です。音声読み上げソフトがあっても、拡大読書器があっても事務の仕事にはかなりの労力と時間がかかることが想定されます。 休職中の日本視覚障害者職能開発センターでの音声読み上げ機能を使った訓練や現場での復職訓練を経て、復職を迎えました。また教育ネット事務局の皆様の親身になって問題解決のためにお力を発揮していただいたお陰で、復職まで漕ぎつけましたことに心から感謝しております。 MywDocImg1.0 テレビ朝日の番組に関して 去る3月10日午前10時30分に日本の力としてこの間2度ほど放映された新井淑則先生の番組の総集編が1時間番組として放映されました。新井先生の退職に際した最後の授業の収録を最後にこれまでの中学校国語教師としての、また担任そしての教育活動が収められていました。生き生きとした授業や、生徒の前向きに生きる力を引き出す生徒へのかかわり等、視覚障害があってもそのハンディを感じさせず、十分な指導力を発揮している姿が映し出されていました。しかし最後の15分ごろからは問題を感じさせる内容でした。新井先生が退職後は急に姿を消してしまった。退職の同僚への挨拶で新井先生自身が、教育活動以外の夫としてや父親としては反省する点があったなどという場面がありました。退職後1年半後に自宅とは別のマンションで病気のために死を目前に控えた新井先生の姿が映されました。また、妻の言葉として夏休みには子供たちと、毎年外国旅行をする等して、視覚障害者である父親を支えてきた。でも病気で亡くなったたのは自宅以外の、別のマンションであり、そこで新井さんをお世話し面倒を見ていたのは別の女性でした。というようなドラマめいた内容になっていました。 教育ネットとしては、この番組を見て、最初の淑則先生の教育活動に関しては過去に放映されたものを更に、退職を踏まえて内容を充実させたものであり評価するものでした。しかし、後半の15分は現実を脚色する部分もあり、教育ネット代表の新井先生の姿を曲開始誤解を与えるような流れになっていました。 新井先生は中学校教師として教育活動に取り組んできました。一方父親として3人の子供を育て上げました。子供さんのガイドで障碍者団体の集会に参加されたり、息子さんの教育問題などで話を私たちとかわすこともありました。しかし、8年前ごろからは奥様と別居状態に入り退職間際には、弁護士を介して離婚の協議が行われていました。ほぼ話がまとまりかけていたようです。しかし、退職時に肺がんと難病で末期を宣告されている状況に陥っていたわけです。 私たちはこのテレビ番組に関しては、新井代表の生き方に誤解を与えるような番組の再簿の部分に大変問題を感じています。また、今後は番組の組み換えなどして、この番組をそのまま放映しないように要望します。 「新井淑則さんの逝去を悼む」を読んで 埼玉大学教育学部4年 奥山紗也佳 私はこれまで養護教諭を目指して大学で学び、自分が知っているよりもはるかに多くの障害や疾患があることを実感してきました。目に見える障害も目に見えない障害もあり、また、医療的なケアを受けながら学校に通う子どももいることを学び、そんな子ども達も一緒に学べる学校であるために養護教諭としてできることを考えてきました。しかし、障害や疾患を抱えて教職につかれている先生方がいらっしゃることは、新井先生が代表を務められたノーマライゼーション教育ネットワークの皆様とのご縁で初めて知ることとなりました。 私が埼玉大学のボランティアサークルである「かやの木」に入会したのは、教員を目指す者として様々な障害を抱える子ども達と出会い、彼らが学べる学校づくりに携わる糧になれば、と考えたからです。しかし、その活動の中では障害のある子ども達だけでなく、教育ネットの皆様とのご縁もありました。これまで学校でのノーマライゼーションは子ども達に向けられたものとばかり思っていましたが、活動のお手伝いをさせていただく中で、教職員や保護者を含む学校に関わるすべての方々に求められているものであると気が付きました。 実際に新井先生にお会いすることは叶いませんでしたが、先日テレビ朝日の「君たちと見たもの〜全盲先生…魂の記録〜」を拝見し、その強くあたたかい人柄にほんの僅かではありますが触れることができました。その中でも、いじめや学校生活での不便を心配する障害のある生徒に対して、「私の教職をかけても守る」とおっしゃったことが印象に残っています。また、追悼文集を読み、そのような眼差しは生徒だけでなく他の障害を持つ教員の方々にも向けられていたことがわかりました。失明後は教育ネットに支えられ教育委員会との交渉を行われたとのことでしたが、その後はご自身が代表として他の先生方の支えとなる活動をされました。残念ながら叶いませんでしたが、居場所づくりとして「リルの家」を作ろうという話もされていたようです。 そんな新井先生が代表を務められた貴団体に、学生ボランティアという形で微力ながらお力添えできたことを光栄に思います。今後は活動の中で学んだことや得た経験を生かしながら、教員として学校や地域社会のノーマライゼーションの取り組みに尽力したいと思います。 新井先生のご冥福をお祈り申し上げます。 新井先生の追悼文集を読んで 埼玉大学経済学部三年 原田真広 私には新井先生と会ったことがありません。確か二年前、教育ネットワークの定例会に参加した時に、電話口から意見を述べられるのを聞いたことのあったのみだと記憶しています。ですが、文集に収められた、先生の逝去を悼む文章を読むにつれ、人物像を、温度をもって感じました。失明後、平家琵琶を習得し、掻き鳴らして令和の琵琶法師を名乗る。「オツベルと像」を朗読する、「グララアーガー」の大音声。声は、室内で盲導犬のリルを跳ねさせて、室外は隣建つ役所まで聞こえる。そういった先生のユニークな逸話についても多く書かれているためか、悼むといっても、言葉から想起される嘆きのイメージよりもむしろ、「雨ニモマケズ」の善意と強靭さの光をもつ詩のような、前向きな読後感が残りました。 資料にある年表を見てみると、新井先生が失明されたのは、私の年齢、二十歳よりも十年以上後のことになります。つまり、新井先生の挑戦されてきたことは、私とは別の境遇にある人の物語、とは言えないのです。 最近見たインターネット番組で、災害復興などを専門とする社会学者の山下祐介さんが問題として論じていたことを思い出します。能登半島地震後、SNSや一部新聞で論じられた「被災地域の中には、経済状況等、復興したとて、たかがしれている場所が多い。それなのに、なぜ災害復興費を税金から付けるのか」という意見が象徴する災害復興を取り巻く言説・環境の変化についてです。 他者に降りかかった辛い出来事が、未来の自分の経験するものではないという保証など、どこにあるのでしょうか。そこから、他者への想像力を持ち得るかという地点に至ると思います。新井先生の生き様を伝える、追悼文集、そしてご自身の著作が遺るのは、その点でも価値を持つのだと感じます。 それに、新井先生の困難に対面する態度は、限定されて理解されるべきものでないと考えます。新井先生にとっては、それが失明だったかもしれないが、私や別の人には違うものかもしれない。しかし、困難や不安の中でも戦い続けなければならないのは、同じです。そうした時、文集に描かれた新井先生の姿は、先達として励ましてくれるのではないでしょうか。宮沢賢治と新井先生の関係と近いものかもしれません。 前述した能登半島地震の復興に対する意見のようなものは、「自分はそうはなるまい」という態度よりも、各々が肌で感じている現前の社会不安の裏返しだと考えます。だからこそ、文集が多くの人の目に触れてほしいと思います。 会計からのお願い 会計係から、会計の現状をお伝えします。 2022年の時点で 198658円 の残金がありました。 しかし、この間の活動で、また追悼文集の発行 86020円 もあり現時点2024年4月3日での残金は 2676円です。 この2年間、教育ネットとしては会費は集めずに、残金を使い果たすことを目指して来ました。ほぼ目標は達成されました。 事務局での話し合いにより、今後のしばらくの活動は皆様のカンパデやっていくことにしました。どうか皆様のカンパのご協力をお願いします。 カンパの振込口座を以下に記載します。 りそな銀行 リソナリテイル口座 店番 535 普通預金口座番号 1295270 個人名義 森谷 良悦 尚、資料として2023年度総会における会計資料 22年度決算報告と23年度予算を掲載しましたが、ここでは省略します。 モリヤリョウエツ |