ノーマライゼーション・教育ネットワーク 会員通信 2022年春号  ~2022年4月7日発行~ 【代表】新井淑則   【事務局】岩井隆 〔ホームページ〕  URL:http://www.japan-normalizatio.com/ 連絡先〈 郵便 〉〒344-0041 埼玉県春日部市増富763-1 飯島気付             〈 電話 〉090―2441―0938(岩井)             〈メール〉rsj78162@nifty.com(宮城) 教育ネットの今後の方向・あり方 の話し合い(2021年10月~2022年3月)はどうなったか?          の 経過報告  〔教育ネットの今後のあり方・方向性〕の話し合いについては、これまでも「教育ネット会員通信」でお知らせしてきました。が、改めてここで再度の報告と昨年10月以降の話し合いの経過をお知らせいたします。 ①第26回定期総会(2021年10月24日)で話し合われたこと  2022年度以降の教育ネットのあり方として、次の3つの方向が示されました。それは、第26回定期総会(2021年10月24日開催)で事務局からの提案及び参加された方から提案された案であり、ごく簡潔にまとめると、次の3つの案になります。  A案=取り組む内容を絞って会の活動を継続していく  B案=会の目的をある程度達成したので会を解散する  C案=会を親睦組織にして会を存続させる  提起総会では、この3つの案を基軸に話し合いを行いましたが、結論を出すには至りませんでした。当初は7月に開催を予定していた定期総会がコロナ感染の影響で延期を余儀なくされ3か月後に急遽開催したものの、参加した会員の数も少なく充分に会員の意向や意見を反映できないと判断したためです。  さらに総会では、当面の会のあり方としては、●即座の解散はしない ●活動として身の丈を超えるようなことはしない の2点と、教育ネットの方向性・あり方の結論を出す期限は2022年の定期総会までとすることが併せて確認されました。 ②11月と12月の定例会での話し合い  上記①の定期総会の確認に基づき、11月と12月の定例会で話し合われ、次の2つのことが決められました。 ◆10月の定期総会では参加者が少なく会員の意向や意見が充分に知り得なかったので、広く意見を知る方法→次号の会員通信に「意見を求める記事」を掲載して、会員から多様な形(郵便・電子メール・電話)で自由に意見を寄せてもらう。 ◆2022年夏に開催する第27回定期総会に向けた定例会での話し合いの内容・事務局としての仕事とスケジュールの確認→第27回定期総会までのロードマップを作る。 ③作成されたロードマップ  以下のロードマップは2022年7月の定期総会をゴールとして設定し、その総会に合せて定例会の内容・会員通信の発行・総会の準備をスケジュールとして組んだ目安です。 ◎1月~3月の定例会=寄せられた会員の意見を踏まえてA案・B案・C案を事務局として徹底的かつ広範囲な視点で話し合い、事務局としての結論を出す(まとめる)。 ◎3月 会員通信春号の発行=事務局としての結論を掲載し会員に報告する。 ◎4月~6月の定例会=第27回定期総会の内容を話し合い、準備の作業を行う。 ◎6月 会員通信夏号の発行=第27回定期総会の開催案内 ◎7月下旬 第27回定期総会開催 ④2つの課題  こうして第26回定期総会の確認に基づき、ロードマップを作り、会員から「教育ネットの今後のあり方・方向性」についての意見を求めました。その結果、昨年(2021年)12月末までに会員から幾つかの意見(郵便1・電子メール0・電話8)が寄せられました。年明けの1月からは、ロードマップに沿って第27回定期総会開催の準備にかかります。が、そこには2つの課題が待ち構えています。  1つは1月~3月の定例会の話し合いです。25年に渡って活動を続けてきた教育ネットを根幹から見直し、さらに寄せられた会員の意見を踏まえねばなりません。事務局としての結論を出すには、厳しい討議が予想されます。  もう1つは、第27回定期総会の内容と準備です。厳しい討議の末に出された事務局の結論がA案=会の継続・B案=会の解散・C案=会の衣替えのいずれかになるかによって、総会の内容や準備は全く違ったものになります。例年の定期総会とは次元の異なった準備が必要となってきます。 ⑤泣く子とコロナには勝てません!  しかし、2022年に入ると俄かにコロナ第6波が世の中を包み込んでしまいました。毎月第4土曜日に開催してきた定例会が、1月2月3月と続けて中止に追い込まれてしまいました。オンラインなどITCによる会議は私たち事務局メンバーではとても歯が立ちません。実質、1月~3月は何も出来ませんでした。③に記されたロードマップの活動は全くの手つかず状態です。唯一できたことはこの会員通信春号を発行したことです。それも春号はロードマップによれば、事務局としての結論を掲載し会員に報告する通信になる予定でしたが、残念ながらこのような中間報告になってしまいました。  今後は、まずロードマップを現状に合うように改め、第27回定期総会の開催に向けて準備を進めていきます。定期総会まで残された時間は3~4か月、前記の2つの課題はまだ手つかずです。不確定要素が多く、第27回定期総会の期日・会場・内容などについてはお知らせすることは現時点ではできません。詳細については会員通信次号(夏号)でお知らせいたします。コロナの第7波感染によってこの先の取り組みが再度頓挫させられることがないように、祈るばかりです。                       (岩井隆) NHK番組の「春よ来い」に新井先生が出演                                宮城 道雄  去る3月31日(木)の午後10時からのNHK番組「春よ来い」に新井先生が生出演されました。  新井先生が失明し全盲になっても、中学校の国語教師として働き続毛ました。37年間の教師生活を終えて退職に至ったことが新井先生の生の声で語られました。担当した生徒や卒業生の歌声や感謝の言葉が放送されました。15分を超える長いものでした。この番組を見た私をはじめ、教育ネットの飯島、森谷、尾崎でそれぞれの感想を寄せ合い私が簡単に文章にまとめることになりました。  新井先生は中学校教師になった30歳代前半に網膜剥離のため両眼を失明して全盲になってしまいました。しかし、自殺を考えるほど絶望していた新井先生が、立ち直って元の学校現場に復職し、更に中学校の国語の教師として立派に教師の仕事をやり切って、退職するに至ったことはすごいことです。目の見えない全盲の教員でありながら、目の見える教員と同じように教育活同が出来ていることは本当に素晴らしいことです。そして生徒から信頼され、前向きに生きる新井先生の姿が、生徒達にプラスの良い影響を与えている様子が生き生きと放映されていました。 番組では新井先生が録音機で生徒の自己紹介を録音し、その録音を何度も聞いて生徒の声を覚えて生徒を把握する事などの新井先生が見えないゆえに創意工夫して努力をすることが紹介されていました。実際はもっとたくさんの工夫と努力があるのだと思います。また、授業はティームティーチングで行う訳ですが、そのパートナーの方が大変理解あり、協力的で、目の見えない新井先生が教えることに大変意義があると感じられ、一緒に授業をやっているという話がありました。視覚障害者の新井先生を受け入れて共に生徒の教育を行おうという職場の教育体制ができている事が分かります。また、新井先生の退職にあたり、卒業生や在校生達が新井先生に旅立ちの歌を歌い、更には感謝の言葉を話していました。それを聞いていた新井先生は嬉しそうに笑いながら「もっとしっかり歌江」と声を出していました。これは新井先生の卒業生に対するもっと元気に励めよ、社会の荒波に負けるなと言うエールであると感じられました。卒業生の何人かから言葉があり、新井先生の言われた「目が見えなくとも、大事なことは心で見えてくる。」という言葉を大切にしているなどの感謝の言葉が語られました。新井先生は常日頃生徒への言葉がけを通して心の触れ合いを大切にされ、生徒に大切な教えや生きる力を育てることができているなと感じます。また、奥様からの手紙も送られてきていて、その中に書かれていた、盲導犬クロード、マーリン、3頭目のリル等とともに様々な努力を人一倍する中で教師を継続してきたという内容から、一緒に支えあってきた奥様の言葉には本当に重いものを感じさせられます。家族の応援の上に教師継続ができたのだろうと思います 目が見えなくとも生徒に人を大切にする心や生きる力を与えるような教育ができるのだということが良く分かる番組内容でした。  しかし、新井先生の働く環境は、通勤のための点字ブロックの設置や、校内の安全な環境つくりや、ティームティーチングの相手の先生の確保や、点字教科書の公的な保証など様々な視覚障害者の働き易い環境つくりの活動が無くてはならないものでした。教育ネットや支援団体など多くの人達の協力の力で、教育委員会に定期的に働きかけを行ってきたことが不可欠でした。特別支援学校への服飾の際も、普通中学校に戻る際も、簡単にできた訳ではなかったのです。教育ネットが県議会や教育委員会に熱心に要望を提出し、話し合いを持つことで、やっとのことで実現したことなのです  障害者差別解消法が成立し、障害者への合理的配慮が言われるようにはなってきています。徐々に社会環境も変化しています。でも、教育現場にはまだまだ広がっていないのが現実です。新井先生は教育ネットの代表としてそのような運動を担ってきた中で、多くの支援者に恵まれて、無事退職に至ったのだと思います。  新井先生は退職後は、自宅の父親のアトリエを改築してリルの家を作るそうです。色々と引きこもりや高齢者で困っている人達の居場所旁をする、畑での農作業もできるということです。カフェリルの家は新井さんの新しい活動場所で、友人の高橋さんも協力されてやっていくという事です。今後は元気を与え生きる力を与えるリルの家の活動が期待されます。 「自殺は、楽になるのか」                                       鎌田公生 「俺なんか、生きていたって仕方ないだろ、死んだ方がどれだけ楽か。」 「死んだほうが楽?死んだ方が楽だっていうわけ?」 「死んだ方が楽だよ。」 「冗談じゃないわよ、私と子供を置いて、死ぬなんてズルいわよ。」 「ズルい?」 「ズルいわよ、あなただけに楽させるもんですか!」 「死にたいなら、一緒に死ぬわよ。そんなに死にたいなら、さあ死にましょうよ。いいわよ、死んだほうが楽だっていうなら。死ぬわよ、子供たちを一緒に、子供たちを呼んでくるわ。」 「馬鹿をいうな」 「馬鹿をいうのは、どっちよ、放して、放して…」 これは、2016年24時間テレビドラマスペシャル「盲目のヨシノリ先生」のヨシノリ先生と奥様とのワンシーンである。失明し、暗闇の中に生きていかなければならなくなり、絶望していたヨシノリ先生のこのシーンは、まさにクライマックスともいうべきシーンであった。奥様役を演じた沢尻エリカさんが、熱く激しく発したこの場面は、今なお私の心に非常に強く残っている。 当時、私は、うつ病、重症に倒れ自殺の念に起きている間責められ、絶望し、もはやこれまでと、生と死のはざまの生きていた中で、このドラマを観たのである。うつ病の重症の別名は、自殺病である。死にたい死にたいと、命から想わせ、ついには実行に移してしまう病でもある。起きている間中、一分一秒、湧いてくるのである。生きていること自体が地獄なのである。よぎる念は、「死んだが、楽」という念である。死んだほうが、自殺したほうが、生きているより楽だとおもってしまうのである。死ぬよりほかに方法は無いと思い込み、そうして、自殺してしまう。同じ病院で知り合いになった子は、病室で自殺してしまった。若い婦人も、高校生のお子さんを残して、自殺してしまった。  ここで、大事な問題がある。それは、死んだほうが本当に楽なのであろうか、という根本問題である。誰しも自殺は、いけないという。では、なぜ、自殺してはいけないのか、明快にいえる人がどれだけいるだろうか。死にたいと言われて、なんと答えていいか、とまどってしまう人が多いのである。なぜか、そういう経験が無いから、答えに窮してしまうのである。なぜ、答えに窮してしまうのか、自殺は、解決にならないことの理由が、わかっていないからである。  私は、医師に尋ねたことがある。「先生、死んだら、人間はどうなりますか、医学ではどのように解明しているのでしょうか。」と。返事は、「医学では解明されていない」という返答であった。さらには、自殺者の検視にいった際、どの自殺者の死相は皆、苦しい顔であったと私に述べたのである。医学では、死後のことについては、なんら解明されていない。よって、ここでは、東洋哲学にもとづいて、「自殺は、楽になるか」について考えてみようと思う。  東洋哲学のおいては、人間の命は、大変に尊いと説いてある。また、人間に生まれてくる確率を、あらゆる砂を、爪の上から落として、爪の上に残る砂粒ほどの確率としている。人間に生まれてくること自体が尊いのである。猫に生まれたり、犬に生まれたり、あるいはカラスにと、生命には多種多様な生命があることからすれば、納得する確率なのである。  さらにその命には、苦しむ命も喜びも、悲しみも、命の中にあり、縁によって、喜んだり、苦しんだり、悲しんだりすることが説かれてある。生きること自体が苦しむ生命を地獄といい、生きること自体が喜び、生きている一瞬一瞬が楽しいという生命を、もっとも尊極の命としている。よって、今、生きていること自体が苦しみの命であったとしても、生きていること自体が喜びの命も、内含しているのであるから、自殺は、生きている喜びの命自体をも壊してしまう破壊の行為なのである。苦しみの命のままで、自死してしまえば、苦しみの状態のまま、宇宙に溶け込んだまま、その生命は生きつづけることが説かれている。東洋哲学においては、生命は永遠であると説くのである。死んだら、終わりではないのである。苦しんで死んでしまえば、苦しみを感じながら、死後も感じつづける。喜びのなかで永眠したとすれば、死後も喜びであることが説いてある。前述の医師が、自殺者の死相は、皆苦しみの表情であったという実話からこれを考えるに、苦しみから逃れるために、楽になるために自殺したとすれば、けっして、楽はないことが予想されるのである。自殺することが楽とはならないことが、東洋哲学上ではわかるのである。 自殺は、解決にはならず、楽にもならない。よって、「自殺は、楽になるのか」ということについては、「楽には、けっしてならない」、自殺がなんら問題解決にはならない、ゆえに、自殺してはいけないのである。楽にはならない死なのである。  苦しみ中の苦しみの中にいるとき、人は死にたいと想う。私も、これに随分悩まされたのである。 生きることが自体苦しみであり、自殺も苦しみであれば、どちらも苦しみであれば、生きて解決をさぐるというギリギリの選択があってしかるべきである。しかし、多くは自殺してしまうのである。自殺後の苦しみの生命状態を、知らないからである。死後も今の苦しみがつづくと知ったならば、今少し、生きてみるという選択もあったはずである。 我が国の昨年度の自殺者数は、2万830人である。なんという数字であろうか。平均して毎日57名も尊い命が、自殺しているのである。なんということであろうか。さらには2020年(令和2年)に自殺した小中高生は、過去最多の479人にのぼったのである。過去最多とはなんと悲しい言葉であろうか、479人、なんと悲しい数字であろうか。我が国は、自殺大国なのである。 自殺者は、事前に、死にたいと口にすることがある。死にたいと言われて、読者はなんと答えるであろうか。もし、そういう時があれば、次のように接してほしいのである。その時は「死にたいほどに、苦しいんだね…」と寄り添う言葉を発してほしい。自殺者は、だれかに気持ちをわかってほしいと願っている。死にたいほどに苦しんでいるその気持ちを理解してほしいのである。そうした上で、上記に記した東洋哲学を示し、自殺が解決にならないこと、楽にはならないことを順々に諭してほしい。 盲学校の閉校と統合について 藥師寺剛  私が現在勤務している新潟盲学校は、令和4年3月で114年の歴史に幕を閉じる。4月からは新潟盲学校と新潟聾学校とが統合し、「新潟よつば学園」が開校する。10年ほど前から聾学校には知的障害の生徒の部門が設置されていて、よつば学園は「もう部門」「ろう部門」「じりつ部門」の3部門で構成される。校名は、両校の生徒に募集したものから選ばれたものである。前述の3部門と地域とをあわせて4者が調和して発展していくことを念頭に置いている。また、平仮名の表記がされているのは幼稚部が設置されているので誰にでも読みやすいものにする、という思いが込められている。  新校舎は新潟盲学校から4kmほど離れたところに建設されている。盲学校、聾学校とは別の新しい場所である。3つの部門は別々の棟になるが、体育館や音楽室、食堂といった共有の設備がある。10月に職員向けの新校舎の内覧があった。全盲である私は、右手で手すりをつたい、横に並ぶ先生方から説明をしていただきながら歩いていった。部屋の出入り口のところの手すりには「職員室」や「保健室」などの点字表示がついていた。しばらく歩くと、何度か止まるように声がかかった。目の前には、大きな柱が立っていた。手すりをつたって歩くと正面からこの柱に衝突してしまうことになる。廊下の端にはこの柱が何本かあった。盲学校では衝突を避けるため右側通行が徹底されてきた。生徒が廊下を通行するためには、導線をどうするかが課題となる。柱の他にもろう部門の生徒のための大型モニターが壁に設置されていて、壁沿いに歩くとモニターの側面がちょうど顔に当たる高さにあった。ろう部門の生徒にとってモニターは、字幕表示をして聴覚からの情報を補う大切なものである。モニターの端に緩衝材を取り付け、一部壁を削ってモニタの出っ張りを小さくすることとなった。  今後のことを見据えてであるのか、教室はすべて「学習室」という名称になっていた。入ってみると、盲学校の教室よりかなり狭かった。盲学校の弱視の生徒は拡大読書器や書見台など、座席の周囲にはかなりのスペースを必要とする。学級の生徒全員がひとつの学習室に入りきるのだろうか、と思った。  4月からこの新校舎を利用する予定の生徒たちは、これまでに何度か新校舎を訪れて歩行練習を行っている。しかし、回数が限られているのでまだ頭に歩行地図を描くまでには至っていないと思われる。新年度のしばらくの期間は、校舎内の教室移動の練習が必要となる。さらに学校の場所自体が変わっているので、登下校の歩行練習も必要である。そして、各部門の生徒が互いに利用する特別教室への移動に関しては、他の部門の生徒との衝突が起こらないか注意を払う必要がある。  教育活動に関しては、来年度は部門ごとに授業を展開し、部門を超えた生徒どうしの交流がどのような形で可能であるのかを1年かけて検討することになっている。ただ、5月末の体育祭は3部門合同で実施することが決まっている。文化祭もその予定である。各部門の生徒たちはこれまで合唱や器楽演奏、ダンスなどのステージ発表をそれぞれの学校で行ってきている。発表することは可能であるが、観客席での鑑賞が課題となるであろう。また、もう部門の生徒にとっては作品鑑賞は触れることのできる限られたものになるであろう。  最近盲学校の校舎内には備品の引っ越しに備えて、教室のあちらこちらに段ボール箱が目につくようになった。何をどの部屋に運び込むかは決まっているが、部屋の中の細かな配置は、実際に置いてみないとわからないことが多い。教育活動も同様である。引っ越しにしろ授業にしろ「やってみないと、わからない」が、今職員間で多く交わされる言葉となっている。しかし4月以降の予定は決まっている。それまでには間に合わせなければならないことが多くある。実際に始まってみての修正や調整といったことがたくさん出てくるであろう。3部門で互いにどう折り合いをつけていけるかが鍵である。授業が始まってからの様子については、今後の通信でお伝えできたらと思っている。