ノーマライゼーション・教育ネットワーク
会員通信2020年冬号

【代表】新井淑則   【事務局】岩井隆
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NHKテレビ、10月25日放映 「障害ある先生を教壇に」

 10月25日(日)朝7〜8時のNHKニュース番組「おはよう日本」の特集コーナーで障害のある教師の授業や勤務の様子が映し出されました。さらにディレクターからは障害のある教師を取り巻く状況や課題が報告されました。放送当事者からの手記・この番組を視聴した会員・読者から寄せられたご意見や感想を掲載します。

  

NHKの番組をみて             飯島光治

 岩井さんからの連絡で、2020年10月25日(日)NHKのニュース番組、おはよう日本(午前7時から7時40分)の特集「障害の教員の雇用について」を見ました。12分間でした。金沢さんの授業、新井さんの授業とインタビュー、最後にこの会員通信にある中村雅也さんの紹介とコメントがありました。この中で新井さんの朗読ボランティアは、13年目と知りました。また2020年9月27日の定例会で午後からお付き合いしたNHKの和田さんが、解説していました。

 中村さんのコメントは、最近の西欧での障害についての見方は、障害者に障害があるのではなく、それに対応していない社会(見方含む)の方に障害がある。というものでした。上記でもタイトルに障害の教員と言っていますが、実は障害は障害の教員にマイナスの方にあるという見方です。この観点を常に留意したい。

 今回9月27日の午後から、NHKの三名の方が来て、カメラを映していましたので、定例会の様子が出るかなと思ったのですが、放映されませんでした。改めて十分な時間をかけても、テレビに出るのはその一部と感じました。

NHKおはよう日本「障害のある教師関連」の報道を見て     勝原 裕子

コロナのために今年は総会も授業参観もできなくて、残念です。

10月25日、日曜日、NHKテレビ1チャンネルで、障害のある教師関連の報道が10分間ありました。短い時間で残念でしたが、取り上げられてよかったです。障害は社会が生み出すものと東大の中村雅也さんが言っているのは、その通りだと思います。

環境の整備とサポートの人員の確保が必要で、サポートの人員の確保に公的制度がないのが問題と指摘しています。

障害のある教員を2,4%雇用しなくてはならないのに1,27%しか雇用されていません。なぜ雇用が進まないか、問題を指摘し報道しています。

初めに先天的に目が見えない埼玉県立久喜北陽高校の数学担当の金澤直教諭がサポートの教諭と授業している様子が映されました。金澤教諭の授業に合わせてサポートの教諭が板書したり、図形を書いたり、生徒が挙手しているのを知らせたりしていました。金澤教諭は生徒の位置を頭に入れ、分からない生徒には簡単なヒントを与え、ペンの動きに聞き耳をたて理解度に合わせて助言を与えていました。言葉を大事にし、コミュニケーションを取る事を大切にしていました。生徒達は、名前をすぐ覚えてくれる、教え方が上手、楽しいと話していました。金澤教諭も生徒のできる様になる喜びを共感していました。

久喜北陽高校は、障害のある教員を受け入れるには課題が山積みでした。学校が障害者を想定していず、段差だらけでした。金澤教諭を受け入れるにあたって段差を解消したり、点字ブロックを設置したりしました。サポートのノウハウを持った教員も1人しかいず、代わりになる人がいません。他の人にも経験を積んでもらう必要があります。

次に皆野中学校の新井淑則教諭の授業風景が映されました。新井教諭とTTの瀧口教諭の他に手のあいている国語科の他の教員もサポートに入っていました。国語科の教員の話し合いの中でも全員で問題を共有していました。町の人が、途中失明で点字をすばやく読めない新井教諭のために13年も朗読してくれています。管理職に理解があり新井教諭を支えてくれています。

しかし、これで良いのではなく障害のある教師の授業のサポートだけでなく、教材の準備、生徒のノート、テストの採点成績つけ等々に正規の教員がマンツーマンでつく事が必要です。

2020年初冬 十月二十五日(日)“おはよう日本”「障害のある先生を教壇に、現場は今」      杉山玉子

 今、現実、現場は?その実情を私が体感することは難しい。法定雇用率2.4%の実際は 1.27%という番組のスタートであったが、この数字を読み解く、この向こうにある現実が肝要であることは言うまでもない。

 久喜北陽高校勤務の金澤先生とサポートのとうま先生の数学の授業に生徒は「名前をすぐ憶えてくれて、問題、疑問をわかりやすく教えてくれます。」と話す。金澤先生は、生徒一人一人を対話で確認し、コミュニケーションを大切にしているそうである。視覚障害のある教員を初めて受け入れる学校長の課題は環境整備、サポート人員の確保等等。教職員、 生徒、保護者の理解あってこそ、前に進む。先生達と高校生の創り出す雰囲気は明るく、若い力にあふれていた。

 新井淑則先生(皆野中学校)の場合も瀧口先生との息の合ったT・Tは見事である。 国語部会の何でも言いやすい協議、指導方法の共有。朗読ボランティアの方達による教材の読み込みと理解など、長年にわたるお互いの対話と信頼が積み重ねられている。

 お二人とも管理職の理解と実践、同僚、仲間のサポートに支えられている今が放映されていた。

 

 一方、今、自分事として現実を直視すると、障害のある先生を教壇に、学校に、地域にあって、生活を共有することの難しさである。現場の最前線にあり涙と汗を流している人達の苦悩の深さを知る由もなく過ごしているからである。放映は岩井先生のお話で初めて知り、友人、知人に伝える。この先、私には何ができるだろうか。教育ネットの方たちが取り組んでいるノーマライゼイションに逆行した県教委の雇用率の水増し、改竄。不当配置転換の裁判闘争など、壁は厚い。障害がある、ないに拘わらず、自分事として考えられない壁。大人の無関心、他人事の言葉に胸が騒ぐ。ある人は言う。「(障害のある人と)普段、出会う、話す機会も体験もない。だから、わからない。」と。大人が残した責任はそのままにできない。が、生徒たちは先生と出会い、対話し、学び、築かれた信頼は、偏見、差別の壁を越えてゆくに違いない。

 残された時間に、大人としてどんな半歩になるか、ならないか、冬の寒さに気を引き締めている。

「テレビ番組の裏側」    ——2020年10月25日(日)午前7時〜「おはよう日本」——

 9月に入って、中村雅也さんから、メールで、テレビ番組取材への協力依頼があった。その番組は、報道番組で「教員の障害者雇用」について取り上げたいとのことである。「教員の障害者雇用」ならば願ったりである。私は二つ返事で取材を承諾した。

 まずは、実際に授業を見たり、話を聞きたいとのことで、取材を受けた。やって来たのは今年4月に採用された若いディレクター・和田大輝さんである。初めて番組制作を与えられたとのことである。10分という枠だという。神戸大学の大学院を出た彼は、教員免許も取得しており、自らこのテーマにしたという。

 2時間の国語の授業参観、校長や瀧口先生のインタビュー、午後は私へのインタビューとなった。インタビューの終盤、和田さんに「なぜ、教員の障害者雇用が進まないのだと思いますか。。」と問われた。私は「埼玉については、会のほうで提言というかたちでまとめたのでそれを見てほしい。障害のある教員がやっていけるかは、管理職の姿勢と受け入れ体制がかぎとなる。教育委員会も加配教員をつけて、現場に丸投げでは困る。私のケースはうまくいっているケース。問題や課題のあるケースも取材しないと見えてこないのでは。」

 すると、和田さんは頭を抱えて「なんて難しいテーマを選んでしまったのだろう。」と嘆いた。その訳をよくよく聞いてみた。中村さんの紹介で、私や久喜北陽高校の金沢先生だけではなく、他の障害のある先生にも取材しているという。和田さんも取材していくうちに、現職の障害のある教員の問題や課題を感じているようである。そして、「課題や問題に切り込んでいくと、10分の枠におさまらないのです。」と嘆くのである。 私は「現役で働いている教員の課題や問題点に切り込んでいかないと、教員の障害者雇用は進んでいかない。」和田さんのライフワークとまでは言わないが、今後とも取材していってほしいと強くお願いした。

 日を改めて、撮影スタッフとともに、朝の出勤からほぼ一日撮影した。

 実際の放送では、瀧口先生のインタビューに「サポートの先生」というテロップが出ていたという。そのことを和田さんに問い詰めた。

「私たちはチームティーチングでやっており、私のサポートという存在や意識で瀧口先生もやっていない。そのことは和田さんもわかっていたはずではないか。」

すると和田さんは「先に取り上げた金沢先生との対応で、上司の指示で入れざるをえなかったのです。」

 仕方がないので、私は「和田さんは番組の最後に『今後とも取材していきたい。』と全国放送で言ったのだから、必ず守るように」

 これが番組の裏側の一部である。                         (文責 新井淑則)

障害のある教師という視座から教育を問い直す —『障害教師論——インクルーシブ教育と教師支援の新たな射程』(学文社)— 中村雅也 (東京大学先端科学技術研究センター)

 教育学における障害者の研究は膨大にありますが、ほぼすべてが児童、生徒など教育の対象者についてのものです。一方、教育の担い手である教師には自明のように健全性が求められ、教師の障害は不可視化されてきました。そのため、今まで障害のある教師についての研究はほとんどなされてこなかったのです。私は視覚障害をもちながら、盲学校や養護学校(現・特別支援学校)で教師として20年近く勤務してきました。その間、ノーマライゼーション・教育ネットワーク、全国視覚障害教師の会などの当事者団体に参加し、多くの障害教師たちの生の声を聞いて、障害者が教師として働くことの意義を考えてきました。また、一方で障害教師が能力を十分に発揮して教育実践を行う環境が整っていないことも痛感してきました。そのような障害教師としての経験を出発点に、私は2009年から京都にある立命館大学の大学院で障害教師の研究に取り組み始めました。それから11年もの歳月が過ぎてしまいましたが、このたびその成果を『障害教師論—インクルーシブ教育と教師支援の新たな射程』(学文社、2020年)として刊行しました。

 タイトルの「障害教師論」は私の造語で、障害のある教師をめぐる諸事象を調査して実態を解明するとともに、障害のある教師を視座として既存の教育を問い直す学問領域のことです。これまで長年にわたり、障害教師は学校現場から疎外されてきました。学校現場に障害教師を受け入れることができない事情があったからです。しかし、それは個々の学校現場における個別の事情というより、むしろ学校という組織や学校教育という制度がもつ構造に起因する事情だと考えられます。障害教師が学校から疎外される事情を解明することで、既存の学校組織や学校教育制度の見えなかった構造が新たに照らし出されるのです。また、教師—生徒関係には一般に教師優位の非対称性があります。一方、健常者—障害者関係には一般に健常者優位の非対称性があります。ところが、障害者の教師と健常者の生徒との関係ではこの非対称性が交錯して、従来の教師—生徒関係とは異なった関係が構築されます。それは教師—生徒関係の新たな可能性を提示しているはずです。このように障害教師は既存の教育、学校、教師などを問い直す有効な視座を与えてくれるのです。

 本書のサブタイトルにある「インクルーシブ教育」と「教師支援」をキーワードとして、本書の内容を少し紹介します。まず、「インクルーシブ教育」です。インクルーシブ教育とは人間の多様性を尊重し、障害の有無にかかわらず子どもたちがともに学ぶ教育です。これまでインクルーシブ教育はもっぱら障害のある子どもを包摂する教育として捉えられてきました。しかし、インクルーシブ教育が多様性を尊重し、障害を包摂する教育ならば、子どもたちだけでなく、教育のもう一方の当事者である教師の障害も包摂するものでなければならないはずです。障害教師たちが包摂されてこそ、インクルーシブ教育が達成されたということができるのです。本書はこれまでインクルーシブ教育が射程に入れてこなかった障害教師を、インクルーシブ教育実現のための重要なファクターとして提示するものです。

 次に、「教師支援」です。これまでの教師支援では、教師が独力でさまざまな困難に対処し、職務を遂行できるようになることを目的として、力量形成の支援が行われてきました。そこには、オールラウンドに職務をこなせる教師がめざすべき完成形であるという前提があります。ところが、障害教師の困難は障害によるもので、個人の力量形成で解消できる困難ではないのです。そのため、職務そのものを補助したり、代行したりする支援が必要となります。本書は教師支援を完成形をめざす前提から解き放ち、不完全性を承認しながら職務遂行を保障する教師支援の方向性を拓くものです。

 本書の目的は、障害のある教師たちの教育実践や勤務の実態を明らかにするとともに、彼/彼女らの職務遂行を支援する有効な方策を解明することです。視覚障害のある教師20名にインタビュー調査を実施し、主にそのデータをもとに分析、考察を行いました。調査対象は視覚障害のある教師ですが、視覚障害に限定されず、障害のある教師全般に通じる論考を行っています。

 最後になりましたが、本研究にご協力いただいた20名の視覚障害教師のみなさんに感謝いたします。調査協力者の先生方は、自身の経験が他の障害教師の役に立つのならとインタビュー調査を快諾し、正確な事実と洞察に富む見解、そして熱い思いを長時間にわたり、惜しみなく語ってくださいました。つらいできごとや苦しい状況も真正面から受け止めて言語化していただきました。それらの貴重な語りをどれだけ研究に結実できたかはこころもとありませんが、本書が語り手たちの語りの力によって支えられていることは確かです。障害教師には排除と差別の厳しい歴史があり、現状も決して楽観視できるものではありません。しかし、語りの中に立ち現れた視覚障害教師たちの教育実践は、それを跳ね返す力強さに満ちていました。それは支援の客体ではなく、既存の教育を変革する主体としての障害教師の姿でした。本書を障害教師の四人の先駆者、楠敏雄先生(2014年2月逝去)、松田祥男先生(2014年11月逝去)、三宅勝先生(2018年12月逝去)、長井仁先生(2019年8月逝去)、そして、闘病を続けながら2019年12月に現職で逝去された西政宏先生に捧げます。

続 コ ロ ナ 禍 の 学 校 と 授 業 と 教 員 と

 私たちが勤務する学校現場への 新型コロナウィルスの影響を、本誌前号で会員のレポートとしてお届けしました。引き続き本号でも、会員からの生の声を掲載します。なお本号が皆様のお手元に届く頃はコロナ感染が厳しい状況に変化していることが予想されます。本誌に掲載したレポートはコロナ感染が小康状態とも言える秋口に書かれたものであることをご留意のうえ、お読み下さい。

   

コロナ禍で思うこと                         富山県立高志支援学校                             教諭  荒井英俊

2020年の新型コロナウイルス禍では、緊急事態宣言が出され、経済活動は大きく制限され、私たちは、家から出ずに時間を過ごすことを余儀なくされました。これから、自分の生活がどうなるのか、社会はどう変化していくのかがわからず、将来への不安も募って、社会不安も増大しました。 私の生活にも、様々な変化が起きました。本稿では、ざっとこのコロナ災いでの出来事について振り返ってみたいと思います。 まずは、私の勤務校でも、さまざまな感染予防対策がとられました。 2月28日〜5月24日までは、休校となり、4月末から5月中旬までの3週間には、隔日での在宅勤務となりました。 5月25日から授業が再開しましたが、センター生と通学生を2グループに分けての分散登校となりました。 再開に向けて、マスクの着用はもちろん防護服の着用、フェイスシールドの使用、消毒の徹底、換気とソーシャルデスタンスを意識した生活が余儀なくされました。 運動会、学習発表会、修学旅行、校外学習行事等の学校行事はすべて中止となり、給食は、密を避けるため、センター生と通学生を分けて行い、7月からは、合同で行うも、会場を3か所で実施し、介助者である教員の給食は提供なしとなりました。 本校は、重度重複障害の児童生徒が多いため、日常生活での排泄、摂食等全介助になるため、特に神経質な対応が強いられたと思います。 排泄の介助時の防護服と手袋の着用、使用物の消毒の徹底等、授業でも、身体接触を伴う活動は控えめにしたり、できるだけ個別か小集団での学習体制がとられました。 重度重複児教育にとって、身体接触を伴う活動は、重要な教育内容であるので、児童生徒にとっても教員にとっても戸惑う出来事になったと思います。 視覚障害の私にとっても、児童生徒とのコミュニケーションをとるのに制限され、また、周囲の物を確認するために手で触れると、注意されるなど、不愉快なことも多々ありました。また、職員の間では、コロナ影響下での疲労感からか?人間関係もぎすぎすしている感もありました。 次に、学校以外の社会活動の影響についても、述べてみたいと思います。 視覚障碍者の山歩きの会、通称「三ツ星山の会」では、月1の例会は6月までは全て中止となり、7月以降も、計画をたてるも県内に感染者が出るニュースがでると、活動の中止の連続でした。今秋は、山の会の全国大会も別府で予定されていましたが、そちらは延期となりました。 もう一つ、ITを支援する、通称「視覚障碍者ITサポート富山」では、5月までの定例会は中止、6月からは、定例会は人数限定で再開はしましたが、参加者は少なく、活動は限定的となっています。ただし、zoomを使ってのオンライン勉強会は好評で、多い時には、20名も参加者がありました。みなさん、長い自粛期間により人との交流を求めておられたのではないかと思います。 その他、点字触読会や「見えない見えにくい人のための便利グッズ展示会、相談会」等はいまだに再開されていません。 以上、学校での教育活動やボランティア等の交流活動は、普段あたりまえのように行われていたことが、コロナ禍により、自粛を強いられ行動が制限されました。 10月頃からは、富山県内では、コロナ感染者は0が続き、学校では、外部から音楽家を招いての絵本読み聞かせ会&音楽会が実施され、また、山の会でも、温泉と自然の中での散策会が開催されています。 しかし、11月に入ると、全国でコロナ感染第3波がおしよせており、予断は許さない状況下にあります。ウイズコロナ社会の新しい生活様式で自分や家族、周りの人々の命を守る、「うつらない、うつさない」を念頭におき、今後も社会変化に順応していけたらと思っています。

平塚盲学校におけるコロナの状況                                    斎藤健二 

  2月27日、その日は感染が拡大しているということで、卒業式や春休みまでの行事をどうするか検討会議が行われていた。私は音楽部の顧問なので、その日も練習をしていた。部活中に「音楽部の卒業ライブは無観客で行う」と生徒に伝えることになる。それでも悲しむ生徒がいたのに、次の日には「3月二日から休校になります。部活の発表もなしです」と言わなければならなかった。休職中も臨時ホームルームの時も涙を流す生徒。  卒業式は卒業生と担任、保護者のみ参加だった。卒業生からの感謝の言葉はとてもすばらしかったらしく、後でその原稿を見せてもらった。感動は半減である。以後も面談と終業式のみ生徒は投稿した。終業式は放送によるもので、2時間程度で下校となった。  4月六日に始業式は放送で行われ、2時間だけホームルームを行った。課題の配布と修学旅行について少し話しただけで終わった。学校が再開できるかもわからない中での投稿だったので、具体的な話はできなかった。その後週に1度は登校日を設ける予定だったが、緊急事態宣言が出されたので、なしになり、次に生徒に合うのは分散投稿が始まった6月4日だった。  4月8日からは職員も在宅勤務、出勤は週に1回が基本となった。どうしても職場でしかできないもの以外は自宅で行った。授業ができないので、課題を作って郵送したり、ネット環境がそれほど整っていなかったものを整備し、課題や授業の動画をアップして生徒に見てもらうようにしていった。しかし、それができるようになったのは6月に近づいたころであった。  そんな暗い中でも私は大きな任務を負うことになった。休業中生徒に学校からメッセージを送るという「テレビホームルーム」という番組をテレビ神奈川で毎朝放送していた。県内の特別支援学校と一部の小学校・中学校の先生が動画を撮り、生徒に向けて工夫をこらしたパフォーマンスをしていた。盲学校らしさが出せるように工夫し、コロナ対策をきちんとしましょうというメッセージを伝えた。台本、キャスティングを担当させてもらったことは貴重な経験になった。  6月からは学部ごとに投稿する日を決めた分散登校が始まった。授業は1日5時間で2時半に下校だった。授業の合間は換気をし、手洗いを徹底させた。下校後は教室の消毒をする毎日。生徒にとって苦痛だったのは給食中一切喋ることができないことだった。生徒から提案があり、音楽を流すことにしたが、せっかくの調理員さんの手作りの食事なのに、おいしさも半減してしまう感じだ。給食の準備、下膳は特定の教員が行い、その他の教員は一切触ることができない。視覚障碍者にとっては助かる面もあるというのは本音だが、それにしても余計な仕事が増えて大変そうな様子を見ていると申し訳ない気持ちになる。  夏休みが明けてからも特別支援学校は短縮日課ということで、本校も短縮授業が続いている。45分授業で6時間行っている。10月からようやく部活が再開されたが、前後の検温と手洗い、メンバーがいた位置の配置図の作成を徹底するように言われた。  行事は再開しつつあるが、本校110周年の行事ができなかったのは大変残念である。高等部の修学旅行は6月から2月に延期したが、本当に行くことができるのか不安である。でも全力で事前指導をしていくつもりである。  生徒もコロナと上手に付き合っていこうとしている。いろいろ変わってしまったが、終わりが見えない以上、慣れていくしかない。感染者が出ないことを祈るしかないし、自分も気をつけたい。

コロナ禍の学校の状況について                       藥師寺 剛

 私は新潟県で盲学校の教員をしている。当該生徒のみの卒業式や入学式、無言で食べる給食など全国的にも行われている対策は当校でも同様に行われている。ここでは、盲学校特有の状況について触れていく。  休業中は学校として授業日は設けないが、学習の保障のため週1〜2日の登校日を分散して設定することとなった。そこで保護者から出された意見として「感染が怖いので、学校に登校はさせたくない。登校日を設定しないでほしい」というものと、「日中過ごす場がないので、もっと登校日を増やしてほしい」という相反するものがあった。どちらももっともである。そこで個々の生徒に対して登校日は設定しても、しなくても良いとされた。さらに、登校日を設定しなくても欠席扱いとはせず、生徒が不利になることがないようにされた。  また、盲学校の生徒はほとんどが遠方に居住している。感染拡大防止のため普段使用している寄宿舎は休業で、登校日の登下校は公共交通機関の利用を避けて保護者の送迎とされた。よって登校が困難な生徒もいた。また、それでも生徒の生活のリズムを崩したくない、という想いで送迎を続けた保護者の方もいた。かなりのご負担であったと思う。  生徒たちはそれぞれ視覚に何らかの障がいがあることは共通している。しかしそれ以外のことは千差万別と言っても良い。個々の事情は異なり、学校としての対応は多様なものとなった。  そして自宅にいる生徒へのオンライン授業が始まった。盲学校であるので画面の使用は難しく、音声が頼りの授業となった。私は数学を担当しているが、やはり生徒が書いた数式をその場で確認できないので、誤答の時にどこで間違っているのかがわからない。生徒たちは長い数式を読み上げるなど協力してくれた。しかし「やはり、教室で一緒に授業ができれば」という思いになった。  学校再開後、校内の感染防止マニュアルでは「授業の際は、生徒から2メートル以上離れること」とあった。しかし、視覚障がいのある盲学校の生徒に対しては誘導したり手を取って示す、という場面は少なくない。私が担当する数学でも、全盲の生徒の図形指導は、図や立体などを用いて、まさに手取り足取りとなる。そういった指導上必要な身体接触は認められている。その分授業後の手洗いや消毒が行われている。  盲学校にはあんまマッサージ指圧、鍼灸を学ぶ職業学科の理療科がある。3年生になると校内にある治療室で外部の方へマッサージや鍼灸の施術を行い、そこで実技の技術を磨いている。しかし、感染防止のため外部の方の来校は中止となり、生徒の実技の実践の機会が奪われてしまった。9月からは再開されたが、やはり実践の機会が少なくなっている。さらに身体の接触を伴うマッサージや鍼灸の業界全体が現在苦境にあり、生徒たちの進路にも影響している。

不定期連載———岩井隆のハクジョウ日誌

見よ、逆さ読み(みよさかさよみ)

 数年に1度無性に回文を作ってみたくなる。いろいろな趣味・道楽のうち最も金がかからないものの1つだろう。スポーツ・学期・映画演劇・釣りなどはそれなりの費用がかかる。その点、回文は紙と筆記用具(私の場合はパソコン)さえあれば済む。ところが、思わぬ落とし穴が待っていた。回文中毒になると常にぶつぶつ何事かを言い、食事など生活全般が不規則になっていく。家人隣人とのコミュニケーションも疎かになり、遂には夜寝ている時でも飛び起きるとメモを取らずにはいられなくなる。どうやら回文はパチンコや競馬競輪などのギャンブル・アルコールや薬物・ゲームやラインなどのITと似て、依存傾向があるらしい。精神や脳科学の学界の1部には回文依存症候群に対し法的規制を求める声もあると聞く。しかし、グローバルな視点に立てば、WHO内でも日本語の回文そのものについての知見は無いに等しく、日本の風土病だとする学説が支配的である。

 どうも外国には回文というものが見られないようだ。中国語では漢字1語が1音なので逆に並べても面白くなさそうだ。韓国語は子音と母音を組み合わせた文字が1音を表すので回文が作れそうだが、発音がリエゾンするのはどう扱えば良いのだろうか?英語となるとアルファベットの並びと発音が厳密に連動していないので無理だろう。思うに、文章表現には修辞法が付いて回る。直喩・隠喩・擬人法・省略・倒置・対句・反語・押韻・パロディー・デフォルメ・リフレイン・皮肉・ダジャレ等々。それらはどの言語であっても同じように表現を豊かにしてくれる。ところが、回文という修辞だけは日本語特有のもののようである。ここで日本語の表記と音韻に注目してみよう。A漢字仮名交じりの表記、Bかな1字に該当する音は1音という原則、C感じの音訓読みの併存という特徴がある。このABCが回文の成立する必要条件であり、またこれらが有機的に絡み合って、字間(詩歌では行間)を読む面白さ・内容の意外性や不調和を醸し出してくる。この回文という修辞をいつ誰が創造したのだろうか? 創造した人物や年代はよく分からないが、上記ABCの日本語の表記と音韻が定着する近世には自然発生的に存在していたものと思われる。 言葉遊びに過ぎない回文だが、その遊びの中に日本語の特異性とそれに支えられた日本の文化の伝統が息づいている。

 

付録=回文(2020年秋の作)上の能書きは読み飛ばしても、付録は是非お読みください

第1部 地名編 土地や町の名前を使って回文をつくりました。
 いかさま堺(いかさまさかい) 薫鶴岡(かおるつるおか) 熊本で友まく(くまもとでともまく)
 田町の巷(たまちのちまた) 浦和で笑う(うらわでわらう) 闇多い大宮(やみおおいおおみや)
  さいたま市に対して特別の感情を持っている訳ではありません。誤解のないように。
 イタリアで自分無事でありたい(いたりあでじぶんぶじでありたい)
  実は私、欧米にまだ行ったことがないのです。
 血の池地獄、覚悟自刑の地(ちのいけじごくかくごじけいのち)
  実は私、地獄へまだ行ったことがないのです。でも1度は行くんでしょうねぇ
第2部 これが回文だ編〔この世の森羅万象を回文の炎は呑みつくす〕
 嘘知れ歌ううたうれしそう(うそしれうたううたうれしそう)
  他人に知られてうれしくなる嘘って、どんな嘘なんでしょうね。
 軍手すら噛むカラス天狗
(ぐんてすらかむからすてんぐ)
  台詞なしのその他大勢は回文の中でもこんなつまらない扱いになっちゃんです。
 痛快に烏賊打つ(つうかいにいかうつ)
  これって、イジメなの? 漁業なの?
 湧く人込みがみごと引くわ(わくひとごみがみごとひくわ)
  渋谷のDJポリスのなせる業か?
 まかない付のきつい仲間(まかないつきのきついなかま)
  学生寮? 部活の合宿? シェアハウス?
 旨い田植え酒、後家さえ歌い舞う(うまいたうえさけごけさえうたいまう)
  秋の豊穣を待ち望んでいるんですよ、みんな、みんな。
 「左党もいるわ」と断る妹さ(さとうもいるわとことわるいもうとさ)
  妹さん、お酒は飲まないんだ? えっ!酒乱だったの!
 澄ます陸ガメ、目がクリスマス(すますりくがめめがくりすます)
  蛇も蛙も亀もクリスマスが楽しみなのです。ところで陸ガメはクリスチャン?
 弱る菩薩泣きつ「暑き夏、サボるわよ」(よわるぼさつなきつあつきなつさぼるわよ)
  一番暑い時にお盆なんて、人間ってどうかしてるわ。仏の世界だって猛暑なの、やってられないわ!
 下りしお腹痛むマントヒヒとんま、無体かなお尻抱く
 (くだりしおなかいたむまんとひひとんまむたいかなおしりだく)
  これもマントヒヒがみじめ、回文って冷酷!
 はて醜いな猛特価に買いあさり。さあ如何に葛藤もない国見ては
 (はてみにくいなもうとっかにかいあさりさあいかにかっとうもないくにみては)
  マスク・ティッシュ・小麦粉、、、つい買ってしまいました。
 感染拡大みたい、眠れず朽ち崩れ、胸痛み抱く感染禍
 (かんせんかくだいみたいねむれずくちくずれむねいたみいだくかんせんか)
  ところで、コロナ感染暇への対応策としては回文づくりが有効かも知れません。
 叩いてみて、痛《いた》た(たたいてみていたた)
  こんなの当たり前だろ!
第3部 地名上級編〔地名の羅列、いえ実は回文なのです。〕
 金谷、谷中(かなややなか) 瀬戸、千歳(せとちとせ) 三田、熱海(みたあたみ)
 桂、広島、八尾《やつお》、尾道、成田、小谷《おたり》、那智、美濃、大津、山代、平塚
 (かつらひろしまやつおおのみちなりたおたりなちみのおおつやましろひらつか)
 笠間、三笠、大須、浦和、三鷹、畑《はた》毛《け》、高尾、堺、小松、妻恋、笠岡、竹田、博多、三輪、羅臼、
 大阪、美作《みまさか》(かさまみかさおおすうらわみたかはたけたかおさかいこまつつまこいかさおかたけたみ
 わらうすおおさかみまさか)
 焼津、近江《おうみ》、太地、柳津《やないづ》、若狭、秋津、片品、平《たいら》、清水、板橋、新発田《しばた》、
出水《いずみ》、白井、田無、高槻、
 麻、河津、伊那、谷地《やち》、伊丹、魚津、祖《い》谷《や》
(やいづおうみたいちやないづわかさあきつかたしなたいら
 しみずいたばししばたいずみしらいたなしたかつきあさかわづいなやちいたみうおづいや)
第4部 あえて人名編
 これまで人名を詠みこんだ回文を作ってきませんでした。地名と違ってその人名が本当にあるのか、
架空の名なのかは分かり様もないからです。でも、十数年前に1つだけ作ったことがありました。
 江守会議怒り燃え(えもりかいぎいかりもえ)
  十数年も前の既作。とても杜撰な提案が職員会議に提出されました。その提案のいい加減なこと、
  江守先生が吠えたこと吠えたこと。もちろん、江守先生は実在の人物です。
 かの菅、名も総理。なし崩しのし尽しなり。嘘も流すのか?
 (かのすがなもそうりなしくずしのしづくしなりうそもながすのか)
  十数年ぶりの人名回文、実在の人物登場の2作目です。やっぱり吠えてしまいました。
 岩井災難ない幸い(いわいさいなんないさいわい)
この回文は「、(当店)」の打つ所で意味が全く逆になってしまいます。
 岩井災難ない、幸い〔災難に出会うこともなく幸せです、ありがたい。〕
 岩井災難、ない幸い〔人生は辛いことばかり、幸が薄いのです。勘弁してくれ〜〕