新井先生の公開授業を参観して(中村雅也)

 去る2017年11月24日(金)、皆野町立皆野中学校で行われた新井淑則先生の公開授業を参観させていただいた。ノーマライゼーション教育ネットワークの企画で毎年実施されてきた新井先生の公開授業は、今年で10回めになるそうだ。私が参観させていただくのは、今回がはじめてである。学校現場を離れてもうすぐ10年になる私には、授業を参観できる機会はめったになく、ひさしぶりに新鮮で貴重な体験をさせていただいた。感謝の意味も込めて、拙い感想を記させていただく。
 公開授業は午後1時40分からの第5校時、1年2組の国語である。生徒は36名だったと思う。指導体制は、新井先生とティーチング・アシスタント(以下、「TA」という)の先生、およびチーム・ティーチングでペアを組んでいた国語の先生の3名体制となっていた。TAは、新井先生の要望により、本年9月末に配置された方で、この先生と一緒に授業を行うようになってから、まだ2カ月程度ということだ。
 実は、私は障害のある先生方の教育実践を調査・記録していて、この夏休みに新井先生にも長時間のインタビューをさせていただいたばかりだった。そのときにも、実際の授業の方法、工夫、指導体制などについて、かなり詳細にお話をうかがっている。しかし、授業の様子を言葉で理解し、想像することはできても、リアルな授業を知ることはできない。授業はその都度変化する生き物だ。その教室にいなければ、その授業のダイナミズムや雰囲気は決して知ることができないのである。だが、いくら私が授業を見せてもらいたいと思っても、子どもたちへの影響や先生への負担を考えると、安易に参観させてもらうということはできない。そんな折、ノーマライゼーション教育ネットの岩井事務局長から、新井先生公開授業のご連絡をいただいた。私はこの絶好の機会に一も二もなく飛びついたのだ。
 さて、当日の教材は「ベンチ」と題する短い物語だった。これは、ハンス・ペーター・リヒター著『あのころはフリードリヒがいた』の一部を切り出したもので、ユダヤ人の青年とドイツ人の女性とのあわい恋のエピソードを通じて、戦時中のユダヤ人差別を描き出している。本時の中心的な学習目標は、描写から登場人物の心情を読み取ることだった。授業は、のびのびとして、落ちついた雰囲気の中で進められた。一斉音読、黙読しての心情描写の確認、文章に沿っての発表と、着実な授業運びはさすがにベテランの味が随所に見られた。国語の授業としての議論はここでは割愛するが、普段からの生徒指導、授業作りの結果として、本時の安定した授業が成り立っていることは、教職経験者ならすぐにわかるだろう。
 ところで、参観前から、私は新井先生とTAとの授業の進め方について、非常に関心があった。新井先生がどのようなことをTAに依頼し、TAはどのようなことを自己判断でやっているのかに注目して、参観させてもらった。でも、それはしょっぱなから意外な展開になった。私は視覚障害教師がTAに依頼することの一番は板書だと勝手に思い込んでいた。しかし、授業が始まってすぐに、新井先生がご自身で、教材名、作者名、本時の学習目標などを黒板に書かれた。授業によっても異なるだろうが、本時においては、TAが板書されることはなかったように思う。
 それでは、TAはどのようなことをされていたのか?まずは、音読する教材の場所を生徒たちに指示された。新井先生が見て確認することが困難な、印刷物のページや行を、新井先生に代わって生徒たちに伝えたというわけだ。その後は、生徒たちの作業の進捗状況の確認と新井先生への報告、挙手した生徒の指名、新井先生と同時に机間巡視しての個別指導もされていたようだった。だが、TAという立場として、生徒たちへの直接的な指導は控えめになっていたのかもしれない。中心的な仕事は、新井先生の授業進行を円滑にするために、生徒たちの様子を把握し、それを新井先生に伝えることだった。とはいっても、不自然に新井先生の補助ばかりをしているわけではなく、一緒に授業を作り上げるメンバーとして、生徒の中に入り込み、役割を果しておられたように思う。
 授業後の研究会でも話題に上ったが、視覚障害教師とTAとで授業を行う場合、TAがどのような立ち位置で授業に関わるべきかという問題はなかなかに難しい。TAといえども、視覚障害教師を補助するとは考えず、生徒たちによい授業を提供することに意識を向けて、自発的に生徒にも関わり、積極的に授業展開にも関与したほうがよいとする意見もある。一方、TAはあくまでアシスタントとして授業内容や生徒の指導には踏み込まず、視覚障害教師の目となり、手足となって、補助に徹するべきだとする考えもある。もちろん、どちらがよいなどということは一概にはいえない。むしろ、視覚障害教師とTAとの授業はこのようにするのだといったマニュアル的な方法論に囚われるのが一番危険だと思う。障害のある教師にTAが配置されるのは、新井先生が先駆的な事例となって、全国的にも端緒についたばかりだ。今後、新井先生と皆野中学校のみなさんが実践を積み重ねられ、他の障害のある先生たちの事例も蓄積されていくことで、障害教師とTAとの授業のバリエーションや可能性が大きく開かれていくことだろう。どんな場合にも授業の質は落とさないとは新井先生の言葉だが、TAを加えた指導体制でさらに授業の質を高めていかれるに違いない。