山本問題(2)(車椅子で勤務)

 山本教諭は、2001年4月当初の教育ネットと川越市教組による川越市教育委員会交渉で、今年度も講師派遣による時間の軽減をかちとった。2001年度は、少人数指導による加配の枠で、担任外として算数の指導をする予定だった。2001年4月2日の要望書提出では、
    1.担任外にしていただきたい。
    2.講師を配置して、持ち時間を15時間にしていただきたい。
    3.担当教科について配慮していただきたい。
    4.通院ができるようにしていただきたい。
    5.車椅子対応のスロープを設置していただきたい。
    6.体育館入り口の段差を解消していただきたい。
 1~3は実現(ただし、2は16時間)出来たが、4~6は来年度への課題となった。しかしながら、4月当初、腰部椎間板ヘルニアを発症し、休職に入らざるを得なくなった。
 復職を目指し交渉の結果、2002年度も、前年度同様少人数指導法加配で、担任外として3年生の算数を受け持つことになった。又、持ち時間についても16時間と成果があった。しかし、2002年2月には肩腱板断裂手術をし、2002年度の復帰は無理になってきた。休職は8月末までの予定だった。
 1997年より、県立盲学校への異動希望を出している。
 2002年6月に、要望書を県教委に提出した。
    1.1階エレベーター入り口前のスロープを改善していただきたい。
    2.体育館入り口の段差を解消していただきたい。
    3.県立盲学校への異動を実現していただきたい。
 2002年8月6日の県教委交渉では、1と2について要望した。
 2003年3月リハビリの失敗で、再度右肩腱板断裂の手術を行うことになり、2003年4月の復職は不可能となった。
 2003年8月4日、復職を目指し、教育ネットを中心に県教委交渉を行い、更に11月4日市教委交渉、12月26日県教委交渉を行った。この時の要望は、2001年4月といずれもあまり変わらないものだった。
 2004年1月8日、市教委と校長が山本宅に来て、復職に際しては①2名の医師の診断書が必要②市教委は持ち時間16時間は約束できないなどと提案してきた。しかし、教育ネットを中心に清水弁護士、市教組などが動いて、持ち時間16時間などを認めさせることが出来た。そして、職場復帰することが出来た。
 2004年4月1日、新校長が着任し、職員会議が開かれた。講師配置がなされず、他の職員にしわ寄せが行ったため、山本教諭を批判する発言があった。
 2005年1月、突発性難聴を発症し、2月~3月病休に入った。4月に復職し、2005年9月まで勤務することが出来た。
 2005年9月12日、右肩だけでなく左肩も悪化し、病気休職に入り、障害がさらに重くなり、これまで勝ち取った勤務条件では勤務継続が困難となった。
 2005年9月から動くことが困難となり、教育ネットに参加できなくなった。そして、2008年3月に退職となった。